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プリンシパル・ダンサー

1978年モスクワ生まれ。97年にモスクワ国立バレエ・アカデミーを卒業後、ボリショイ・バレエ団に入団。2004年にプリンシパルに昇格。05年にロシア功労芸術家、09年にロシア人民芸術家に選出されるなど、ロシアを代表するダンサーの一人。13年8月、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにて『ラ・バヤデール』の公演中に足を負傷したが、14年2月、マッツ・エック振付の『アパルトマン』で見事復帰を果たした。同年秋の日本公演でも日本のファンに圧巻の踊りを披露している。

ファースト・ソリスト

1985年モスクワ生まれ。幼少のころからバレエを習うも、子供時代は女優を夢見ていた。2002年に国立モスクワ国立バレエ・アカデミーを卒業後、ボリショイ・バレエに入団。2年目には『ロミオとジュリエット』のジュリエット役を射止める。現在は、ファースト・ソリストとして活躍中。

プリンシパル・ダンサー

1976年モスクワ生まれ。94年にモスクワ国立バレエ・アカデミーを卒業し、ボリショイ・バレエに入団。現在は、プリンシパルとして活躍している。2002年にはロシア功労芸術家に選ばれている。

ボリショイ劇場 バレエ芸術監督

1970年モスクワ生まれ。88年にボリショイ・バレエ学校(現モスクワ国立バレエ・アカデミー)を卒業し、ボリショイ・バレエ団に入団。90年にボリショイ・バレエのプリンシパルに昇格し、ダンスール・ノーブルとして活躍。94年にブノワ・ド・ラ・ダンス賞を受賞、96年にロシア功労芸術家、2001年にはロシア人民芸術家に選出されている。08年よりモスクワ音楽劇場でバレエ芸術監督を務めた。11年、芸術監督としてボリショイ・バレエに電撃移籍。このことが、現ボリショイ劇場総裁のウラジーミル・ウーリンとの確執のもととなったと言われている。13年1月に襲撃されて顔に硫酸を浴びるも、医師団の懸命な治療により再起。現在も、芸術監督としてボリショイ・バレエを牽引し続けている。

ボリショイ劇場 総裁

1973年にキーロフの青少年劇場の総裁としてそのキャリアをスタート。その後、舞台芸術における様々な分野で活躍しながら、85年にロシア舞台芸術アカデミーを卒業。95年から2013年までモスクワ音楽劇場バレエの総裁を務める。13年、セルゲイ・フィーリンへの襲撃事件で揺れるボリショイ劇場の総裁に就任。14年には日本公演で総裁としての初の来日を果たしている。

元バレエ芸術監督/バレエ・マスター

1946年ウィーン生まれ。65年にボリショイ・バレエに入団。70年代から日本公演に参加するなど、日本でも馴染みが深い。89年以降、バレエ・マスターとして、ミラノスカラ座、東京の牧阿佐美バレエ団、パリオペラ座など、世界各国のバレエ団で指導を行っている。2000年から03年にはボリショイ・バレエの芸術監督を務めており、現在もボリショイにてソリストの指導にあたっている。ボリショイ・バレエ、元ファースト・ソリスト岩田守弘氏を指導したことでも知られる。

元プリンシパル・ダンサー

1973年ジョージア(旧称グルジア)生まれ。92年、入団試験でグリゴローヴィチに見いだされ、ボリショイ・バレエ団に入団。95年にはプリンシパルに昇格し、名実ともにボリショイ・バレエを代表するダンサーとして活躍。2013年に起こった芸術監督セルゲイ・フィーリンの襲撃事件をめぐって劇場首脳陣と対立。同年、ボリショイ・バレエ団を解雇され、21年にわたるボリショイでのキャリアに幕を下ろす。現在はワガノワ・バレエ・アカデミー校長

ロシア連邦 首相

1965年生まれ。2008年にロシア連邦大統領に就任し、かねてからの盟友であるウラジーミル・プーチンを首相に指名。12年には大統領の任期満了に伴い、プーチン氏と入れ替わる形で首相に就任、現在に至る。

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